西欧神秘伝統とその「魔術」について


 魔術(magic)。人はこの言葉の怪しげな響きに何を想うだろうか。現代、この言葉は様々な意味に
解釈され、使われている。そして、多くの人々はそれを単なる御伽ばなしかまやかしのものでしかないと
考えているだろう。しかし、実は、このHPで扱っている西欧神秘伝統というものは、その内に
「魔術」という体系を含んでいるのだ。そして、このHPでは、その「魔術」というものを
扱っていくことになる。ここでは、学徒にその西欧の神秘伝統が掲げる真の「魔術」というものの
姿を紹介、説明していこうと思う。



 まず学徒は「魔術」と聞いて、何を思い浮かべられるだろうか?。日本においては、この言葉は基本的に
2つの違う意味において認識されると思う。

 まず1番目は手品の類。
タキシードを着た人が舞台に上がって帽子の中からうさぎを出したり、ハトを出したり
するもの、その他もろもろの仕掛けのある芸を指す。日本ではこれらも「魔術」と言われるが、
しかしここで紹介する「魔術」とは、もちろん、そのような手品、奇術を指すものではない。

 「手品」と違う意味で「魔術」という言葉を捉える場合、その、もう一つが、何か不可思議な
方法で以って現実世界に変化を起こすものという意味だ。西欧の神秘伝統で扱う魔術とは、
こういったものといえるだろう。以下に、現在一般的にイメージされるこの方面の魔術の種類を
大きく分けて紹介、同時に西欧神秘伝統における魔術の説明もしてみよう。


1 「願望魔術」


これは広義においては、魔術というもの全ての範囲を含むことになるが、ここでは個人や集団が
主に欲望に基づく願望を叶えるために用いる不思議なわざとする。(例えば、お金が欲しいとか、
恋人が欲しいetc)。これには、儀式などの一定の所作を用いて行うタイプや、護符やお守りなど
の外的な力に頼って叶えるものとか、術者の強力な意識のみを使って叶えようとするタイプなど、
様々な方法がある。しかし、このページで紹介しようとする魔術においては、よく漫画や
童話などに出てくるような、物質的法則を無視するような形で願望が叶うことは殆ど出来ない。
(例えば、恋の魔術をしたら、いきなり意中の人から恋の告白を受けるとか、魔法の杖を降ったら
自分の欲しいものが突然現れるとか等など、世の中、そんなに甘くない)。しかし、このHPで扱う
魔術においては、魔術を行い現実においてもたゆみない努力を行えば、現実世界にゆるやかに変化を
起こし、物質的法則を無視すること無しに、願望を叶えるということがある程度可能とされるのだ。
またこの際には、通常ではありえないような、偶然が何回も重なるなどの経過を経て、願望が叶う
等の不思議な経験をすることもよくある。心理学で共時性と言われるものだ。このような経験を
得たときは、「魔術」という方法が効いたのだな、と後に実感することだろう。


2 「物質的攻撃魔術」。


よく漫画・アニメやゲームなどに出てくる、炎や氷・雷などの物質的手段を用いて、敵に攻撃する
ものだ。一般的にあまり魔術というものを知らずに憧れるもの達は、1番目の願望魔術か、この
タイプの魔術に憧れるものが殆どだろう。しかし残念ながら?、西欧の神秘伝統の魔術においては、呪文
を唱えていきなり炎を呼び出すなどの物質的な法則に思いっきり反する現象を起こすことは出来ない。
その点はこの後もよく記憶しておいてほしい。そういった事を求めるものは、このHPを読むことは
やめて、他のHPをあたってほしい。ただし、そのどれもが偽りのものか架空のものだろうが・・・。


3 「精神的攻撃魔術」


人形や写真を相手に見立てるなどして、術者の念や意識などの物質的手段によらない方法で、
相手に害をなそうというものだ。これはよく魔術の理論を理解し、また意識を鍛練している
ものなら、ある程度可能といえよう。これは、物質的な法則に反すると思われるかもしれないが、
西欧の神秘伝統的な魔術を研究している人達の間では、何かまだ現在の物理学では発見されてない
意識のエネルギーみたいなのがあり、それが作用しているのでは無いか、と考えられているのだ。
しかし、それもよっぽどの事が無い限り、何年もずっと恨みつづけてようやく、相手が心身に不調を
きたすといった微々たる事しか起こせないものである。


4 「治療魔術」


漫画やゲームなどでは、負傷したものを瞬時にして癒したり、老化や死が避けれるなどといった
イメージが広まっているが、前記と同じく、このHPで扱う魔術においては物質的法則を無視した
ことはまず出来ない。しかし、魔術の訓練によって精神力を高め、それにより生命力を活発化して
自己治癒力を増したり、自分の体に流れている精妙な生命エネルギーを制御して病人に与え、その
病人の病気の治りを早くするといった事などは、ある程度可能といえよう。現実に中国では、
こういった生命エネルギー=気を制御して医療に役立てようという試みが公的に行われている。


5 「召喚魔術」


神々や天使・悪魔、精霊といった霊的な存在をある一定の所作や儀式を用いて、自分の意志する
ところに呼び出すものである。日本でいえばイタコなども、その一種といえよう。最近では、
魔術を心理学的に解釈する研究も進んできて、「召喚魔術」とは人間の深層意識に潜む、ある
心理的機構を天使や悪魔に見立てて、それらを呼び出し制御するものだという説が主となってきている。
しかし、実際に召喚魔術というものを行って、天使や精霊などと接したものは、それが心理的機構
という説だけに収まるものではなく、一つの実在する不思議な存在を呼び出すものであると感じられる
だろう。しかし、これも例のごとく物質的法則をあまりに無視したような事は不可能だ。



現在、手品では無い「魔術」という言葉によってイメージされるものをある程度、上のように纏めて
みたが、実際に研究されている魔術に於いてはこれらは複合して行われることもよくあり、
(願望魔術を行うために、召喚魔術を行ったり、精神的攻撃魔術のために召喚魔術を行ったりなど)
ここで書いたような、あまりはっきりとした分類の定義をすることは出来ない。そして、その事から
も解るように、現在、魔術という言葉には様々なイメージが組み込まれ、混乱しているのが現状である。


 それでは、このHPで扱う「魔術」というものをすっきりと理解するには、どう定義する
のが良いだろうか?。本来、「魔術」という言葉はその語源を辿れば、古代宗教の秘密の学問を伝える
「マギ(Magi=博士あるいは賢者)」の扱った秘密知識・技術から来たと考えられている。Magiの扱った
ものという事で、Magicという言葉が出来たのだ。日本語ではそのMa(マ)という音から「魔」術という
訳語があてられてしまったが、本来はこの知識や技術は悪いもの、この世界の法則を無視するような
不可思議なものでは無い。しかし、先に述べたマギと言われた人達は、その当時の一般社会では理解
できない技術をも扱ったために、それを理解できない人によって、「Magic」には「理解できない
怪しいもの」というイメージがつきまとうようになってしまったのだ。これを例えてみると、今から
10000年昔の人の目の前でマッチで火をつけて見せてあげても、その人には何故火がついたか
理解できないため、不可思議な術を使ったんだと信じ込んでしまうようなものである。そのため、
そのマギの扱ったもの、Magicは「不可思議な術」の代名詞となったわけである。こういった誤解から
現在、「魔術」というものは、超能力とか物理法則を無視したような事が出来るようになるものと、
一般の人には誤解されてしまっているが、しかし、本来、「魔術」とは語源的には、古代にあって
この世界を司っている法則についての最新の知識を有するものの扱う技術や知識体系であり、
現在で言えば、この世界の法則を解明する「科学」にも繋がるものなのだ。そして、その中心には、
科学が発達した現代でも未だあまり解明されていない、人間自身にとっての最大の神秘である、
人間の「意識」というものを制御するための技術を伝えているのだ。



この技術を、魔術界の先達といえるもの達は次の様に述べている。

アレイスター・クロウリー
「魔術とは意志のままに変化を起こす科学であり業(わざ)である」
ダイアン・フォーチュン
「魔術とは意志のままに意識の変化を引き起こす技術である」

これらはかなり抽象的であり、わかりにくいかもしれないが、いずれにしても魔術というのは、
自分の「意識」を制御するものだというのを理解してほしい。
ここで、なんだ、自分の意識くらいすぐに操れるよ!と思ってしまった人は少し待ってほしい。
本当にあなたが感じて自覚している意識が、自分の中の意識の全てなのだろうか?。

 最近は、心理学が普及してきた事もあって学徒も「潜在意識」という言葉は、多少でも耳に
したことがあると思う。詳細はこのHPでもユング心理学の項で説明するが、人間というものは、
自分が自覚している「顕在意識」の奧にそれより遥かに大きい「潜在意識」というものが心理学では
あるとしている。これを身近な例としてパソコンに例えてみるなら、人間が通常理解できる顕在意識は、
8MのRAM、潜在意識は数百テラのハードディスク(実際は数百テラよりもっと大きいといえるが)
みたいなものといえるだろう。

 人間が通常扱える意識、情報量というのはとても限られたものである。(それは、8Mくらいの
RAMだと思ってほしい)。しかしその奧には、今まで、見て聞いて嗅いで味わって触って、そして、
物質的手段を超えた様々な手段も含んで得た情報が全部詰まっている、とても大きな潜在意識と
いうものがあるのだ。(これは、数百テラのハードディスクみたいなものである)。

 魔術の定義における、制御するべき「意識」というものは、この2つ(顕在意識と潜在意識)が、
合わさってできたものを指すのだ。学徒にはこの途方も無さが理解できるだろうか?。そして一般に、
そのうちの潜在意識というものは、自分では自覚できないこともあり、顕在意識が通常考えるような
方法では、まず制御することが出来ない。また普段、私たちが考えている通常の意識でさえも、時や環境に
より、ころころと変わるものであり、なかなか真に制御できないのが実際のところだ。

 では、なぜその潜在意識を知り、制御し、操るのか?。これは、人間の「運命」、そして人間とは
何なのか?を知るといった事と関わりがある事である。ここで学徒は、自分の「運命」というのは、どう
やって決まっていると、お思いだろうか?。まず、たいていのものは、外部の要因によって思い通りに
いかない事が殆どだが、それでもやれる限りは自分は自分がしたい事を思って行動しているとお思いだろう。

 しかし、これらの自分の思考・決断でさえも実は意識しないうちに、そして自分でも解らないうちに、
潜在意識というものに多大な影響を及ぼされているところが大きいのだ。例えば、自分は公務員になりたい
と、願ってる人がいるとしよう。しかし、この人は職業が安定しているからとか、親が薦めるからだとか、
表面上はそういった社会的な理由で公務員に就くのを願っているが、実は潜在意識では自分というものを
真に表現したいため、作家になりたいと願っているという事もあるのだ。この場合、この人は一生懸命
勉強して公務員になろうとするが、たいていはどこかで、やる気が起きずに失敗することが多く、また、
例え公務員になれたとしても、そのうちに嫌気がさし辞めてしまう、ということもよくあるのである。

 この様に、人間の運命というのは潜在意識によって、知らず知らずのうちに、変化させられている事
が多い。このHPで扱う「魔術」とは、この潜在意識に儀式や象徴、瞑想などの手段を使い、直接
アクセスをかけ「自分の本当の意識」あるいは目的というものをはっきりと自覚し、その効果で自分の身の
回りの物事をも、変えていこうという訓練法であるのだ。

いってみれば、西欧の神秘伝統の魔術の学徒は途方も無い潜在意識を制御する技術のプロフェッショナルを
目指しているといえるだろう。そのためにこの魔術の学徒は頻繁に、意識を制御するための訓練法を
学習、研究するのだ。現在、一般社会に「魔術」という言葉は誤解が強く根付いているため、「魔術」を
練習していると聞いた人の中には、その魔術を練習している人をなにか特殊な人物と考え、宗教の教主みたい
に敬ったり、または恐ろしい近寄りがたい人物、と考える人もいるだろう。しかし、このページをここまで
読んでくれた学徒ならば、現代において西欧の神秘伝統の魔術の実践を訓練するという事は、スポーツマンが
練習をすると言うことと同じ様なものであると理解して欲しい。その主な違いはスポーツマンならば主に
肉体を操り、鍛えるのに対して、魔術師は特に精神(意識)を鍛え、制御しようとするものなのだ。

 また、実際のところ殆どのこの魔術の学徒達は、一般に普通に暮らしている人達と社会的には
なんら変わりの無い社会人なのである。仕事でミスもする、金儲けもしたい、楽して暮らしもしたい、
と思っている俗物が殆どである。普通の人達と違うところはただ一点、西欧の神秘伝統の魔術を学び、精神の
制御の訓練を行っているという事である。そして、その効果が得られれば、その効果によって人生を楽しく
有意義なものとして暮らしていこうとしたり、あるいは多少でも真面目な人物ならば、その魔術を自分の
行動や人生の基盤あるいは哲学として、普段から自分の意識の奥底まで知るように心がけ、自分が真に
目指す人生へと向かっていこうとするだろう。



さて、最後になるが、ここで纏めとしてもう一度、先にあげた魔術の先達の2つの言葉を思い出してほしい。

アレイスター・クロウリー
「魔術とは意志のままに変化を起こす科学であり業(わざ)である」
ダイアン・フォーチュン
「魔術とは意志のままに意識の変化を引き起こす技術である」

 これらの言葉には今まで説明してきた、意識を制御する魔術の実技を経験してきた先人の智恵が
込められているのだ。そして、この言葉を定義する意味において、西欧の神秘伝統の「魔術」とは、私たち
の生活の根本に流れる「意識」の力を制御するものとして、人間のその行動あらゆるものを包含する
理論的・実践的な「大系」へとも進化させることが出来るだろう。それは、例えてみれば、茶において
茶道があるように、また、剣術において剣道があるようなものである。このようにこのHPにおける魔術と
いうものは人間が生きて行く上での様々な願望・欲望を叶えるための魔術的な技術の基盤となることも
あれば、魔術儀式や魔術理論を楽しむ精神的な趣味とするものにもなり得るし、人間が生きて行く上での、
そのあらゆる行動の規範になる哲学へと昇華する事も出来るなど、これらあらゆる全てを許容しうる、
とてもふところの深いものなのである。

 そして本来の目的として「自分」というものを真の意味において知り、活かして行くための知識で
あり技術であり、ART=業(わざ)なのである。



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