基礎知識13



生命の樹について2(その見方)


 ここでは、前に、簡単に説明した「生命の樹」についてもう少し詳しく説明していこう。 以前も紹介 したように、「生命の樹」とは、オッツ・キィムとも呼ばれる、ユダヤの秘教カバラ から伝わってきた 神秘的図形である。この生命の樹という図形は、基本的に10個の輝く球体で 現されるセフィラ(「数」 の意味。複数形はセフィロト)といわれるものと、それらを繋ぐ22の パス(小径)と呼ばれる 直線で成り立っている。そのうち、パスというものは後で説明するので、 ここではセフィロトという ものに注目してほしい。セフィロトとは、「神」の本質の様々な「相」 を現すものとされる。神は、その 計り知れない神秘の性質のゆえ、一度に全てを知ることは出来ない。 そのため、学徒はセフィロトという、 様々な角度からの見方を用い、それに近づき触れようとするの である。また、この生命の樹は様々な見方を 用いることが出来、そのうちの一つとして、セフィロトは、神が世界を顕現させる創造のための段階を 現したものとしてもいわれる。この場合、生命の樹はその前段階として三重の否定的存在というものを 考えることを提示する。

ここまで説明したところで、学徒は幾つか疑問を抱くかも知れない。そのうちの一つとして 大きな事に、 「本当にこういった図形に、そんな大した意味や力が含まれているだろうか?」 である事が含まれると思う。 実際、西欧の神秘伝統的に扱う生命の樹という図形に対する考え方は、生命の樹が本来伝えられてきた、 正統なユダヤ教におけるカバラの生命の樹の考え方 とはかなり異なったものなのである。また、ユダヤ教 のカバラに伝わる生命の樹の考え方自体も 歴史とともにかなり変遷を経てきたという。これらを見ても、 この「生命の樹」という図形に対して、 この生命の樹が世界の始まりから隠されし唯一不変の「真理」を 物語っているなどと考えることは、正直なところ、 筆者は不可能あるいは妄想に近いとした方が、学徒に 対しての説明としては、正直なところを言うことになると思う。

 しかし、西欧の神秘伝統に代表される、人間の「意識」というものを探求する学問を研究してきた学徒たちにとって、人間の意識の中には、ある一定の「パターン」というものがある事が言われてきた。 例えば、学徒は水を見るときに感じる色を想像してみてほしい。多くの学徒はそこに「青」や「水色」 あるいは「白色」などを挙げることだろう。よほど、変わった体験をした人でなければ、水という イメージに「緑色」や「黄色」という色をすぐに思い浮かべる人はいないものである。この様に人間の 意識には、多くの人に共通する、パターンというものがある。西欧神秘伝統の学徒は、この生命の樹と いう図形をその人間が元来持つ意識の「パターン」によく適合し、理解、解説をしやすいものとして、発見したのだ。そして現在の学徒は、この「生命の樹」という図形を、人間の意識の探求に 、とても有効に用いる事の出来る「道具」の一つとして使用している。そして、そういったパターンに対する 細かい認識などは時代の移り変わりや学徒個人の考え方によって変わるので、生命の樹の用いられ方は、現在でも改良を繰り返され続けているのだ。 ここで少し別の話になるが、こういった考えは別の見方をすれば、人間の意識のパターンというものに適合さえすれば、この「生命の樹」という図形に拘らなくても、学徒は人間の意識というものについての探求を行っていけるという結論も導くことも出来よう。実際、例えば、日本の伝統的な修行法である密教という修行法では、 人間及び神の世界(意識)を説明するための図形として、マンダラというものを扱い、修行を行っていく事を 提示したりしている。 また、東洋では易や五行の考え方を用いて、この世界を説明する修行法もある。しかし、ここでは、学徒は西欧の神秘伝統を用いて、人間の意識の探求を行っていく事を学んでいるのであるから、学徒は、このHPの西欧神秘伝統の解釈に沿って人間の内なる意識の探求を行っていくことになる。その旨、学徒はよく理解・了承しておいてほしい。

また、学徒にはもう一つ注意しておいてほしいことがある。よく、誤解されることに、こういった神秘的図形や象徴というものに対して、解説を読んでそれを知っただけで、その図形や象徴の力が自分のものになるという考え方をする学徒がいる。この文の前にも言った ように、これらの象徴や西欧神秘伝統に出てくる図形は、 それ自体では結局は「単なる図形」にしか過ぎないのである。例外的な事もあるが、例えば生命の樹の図形を、どこかの壁の路地にラクガキしたからといって、道を行く人が皆、その図形によって神秘的な考え方をするわけではない。また、最近、よく漫画やアニメなどでオカルト的なものがネタとして使われたりもするが、ただ単純にネタとして使われるだけでは、あまり読者の意識を変化させることは出来ないであろう。これらの図形や象徴というものは、 それを受け取った学徒自身が、長い期間、深い瞑想や考察を行なった上で、ようやく、その学徒自身の意識に影響と変化をもたらすようにする事の出来るものなのである。学徒は、こういった事を理解して、生命の樹の図形や、その他の象徴的図形の扱い方をよく学んでいってほしい。



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