西欧神秘伝統を学ぶ前に
このページではこのHPの掲げる西欧神秘伝統あるいは実践ヘルメス学や西欧秘教伝統とも呼ばれる学問
体系に興味を持ち、実際に学んでいこうと思ってもらった学徒のために、幾つか気をつけておいてもらい
たい事、注意しておいてもらいたい事を事前に書いておこうと思う。
まず、学徒は、こういった秘教体系の学習を行うために日常生活をおろそかにしてはいけないということ
をよく覚えておいてほしい。この秘教体系を学んでいけば解るようになると思うが、実は我々が普段
生活している、その環境そのものが我々にとっての真のよき学びの場なのである。オカルト的世界では、
よく誤解されることに、こういった不思議そうな学問を極めたものが人生の「達人」になれる
のだという考えがある。
例えば、私は「真理」を知っている、あるいは求めるといってる人とか、超能力を持っている、魔力を
持っている、あるいは私は「悟り」を開いてる、「最終解脱」をしたという人を崇めたり、そういった人に
いろいろと教えてもらったりしたい、という行動をとるのも、その一種だ。
そういった方達は物質世界は汚いものであり、精神世界こそが高尚な本物の世界であるといった考えを
持っている事が多い。しかし、西欧の神秘伝統の教えには、「全てのものは本質的に意味は無い。しかし、
それは翻せば、全ての現われは同様に神の一面であり、神聖なるものなのである」といった事がある。
我々の住んで生活している、この物質世界自体も、神の一つの現れとして神聖なものなのである。だから、
筆者は現実の生活も極めた上で、さらに西欧の秘教体系という面倒くさそうな学問も修めた方が、
真の意味での「達人」となりえると思っているのだ。もちろん、筆者自身、そういった段階には程遠い
ところにいるし、そういった段階まで行くなんて殆ど無理だと思っているが、学徒の方もその辺については
自分なりによく考えてみてほしい。こういった精神世界には、現実の社会生活で苦労・幻滅、あるいは自分
に自信を無くして、凄そうな事を言ってる人についていけば、自分も凄い段階にまで行けるんじゃないか
という幻想を持った人たちがよく、というか、そういった人達だからこそこういった秘密的教えに逃げ口を
求める事があるが、そういった普通の社会生活も、しっかりとこなせない人は、それより実はさらに
つらく面倒な西欧の秘教体系を真に学びとることは出来ないであろう。実際、筆者自身も継続して行うべき
これらの学習を忘れたり、サボリがちになる事が多いし、以前、このHPで実験的に行なっていたネットを
通じた教育においても、殆どの学徒の方が日記を書く事や現実生活との両立がつらくなってやめたりしている。だが、それはそれで仕方がないと思う。少なくとも精神世界に逃げ込んで現実生活を投げ出してしまうよりは、余程、その方がその人の人生にとっては良かった事だと思うから。
次に、学徒は古代から伝わる秘教的な教えを学んでいるからといって、いたずらに古代の知恵に拘る事の
無いように心がけてほしい。よく、古代の知恵を学ぶ学徒が間違えやすいことなのだが、古代の知恵こそが
本当の学問であり、現在の科学は間違った低次な教えであると考えてしまう事がある。確かに、古代の知恵の
内には現在の科学には未だ無い、様々な有用な情報が含まれている。しかし、その中には一緒に様々な誤った
情報も含まれる事が多い。それらの情報を正しく取捨選択し、自分にとって真の意味で活きた知恵としていく
ためには、現在の科学的な様々な基礎的な学問を習得しておく事が必要なのだ。そういった意味からでも、この学問を志すのは、少なくとも義務教育を終え、社会人として分別がつきだし、責任を持てるくらいの年齢になってからの方が良いだろう。また、西欧の秘教体系は、古代においては、その当時としての「最新の学問」で
あったという事も忘れないでほしい。古代の人たちはそういった観点で西欧の神秘伝統を学んでいたの
だろう。それが現在において、最新の学問を学ばずに古代の知恵ばかりを学ぶのは、全く逆向きの考え違い
であるといえる。それらをよく理解した上で、学徒はこの西欧の神秘学問を学んでいって欲しい。
次に書いておくべき事は学徒はこの西欧の秘教伝統というものを学ぶにあたって、どういった学び方で、
どの段階まで学びたいか、を最初にある程度は考えておいた方が良いということである。今、日本で主流
となっているのは、この学問を「趣味」と考えて、実践をそこそこに知識面に重点をかけて、いつまでも
様々な知識を求めていくというスタイルがあげられる。これはこれで、一つの方法だと思う。
しかし、真剣にこの世界の「神秘」を探りたいと思うものは、実際に様々な実践をこなしていき、普段は
隠された「意識」というものに、触れていく道を選ぶ。しかし、この隠された意識というものの内には、
その人自身が触れたくないことや「自分」という心を壊しかねない事。そして、自分としては気づいて
いなくても生命体を構成するものとして、心が無意識的に隠しつづけてきた事柄が含まれている。こう
いったものに触れるということは、その人にとって、精神を壊しかねない、とても危険な事柄なのだ。また、
この秘教的な実践学問はある段階までいたるようになると、やがて学徒は自分を取り巻く、ある不思議な
「力」というものの存在に否応なしに気づかされていくことになる。そういった存在がいつも自分の身近に
ある事に気づくと、学徒は様々な形で、その存在から影響を受けることになる。そうした場合、学徒の心身
にも幾らかの危険が生じることになる事を、ここでしっかりと覚悟しておいてほしい。もちろん、そうした
力への対応法もこの秘教体系にはいろいろとあるのだが、それでも危険が無くなるわけでは無いことは
知っておくこと。もし、学徒がこの西欧神秘伝統の実践的な面、この世界に隠されし神秘を、どこまでも
求めていきたいと思うのなら、これらの点について最初によく考えるようにしておいてもらいたい。
次にこの実践学問を本気で学ぼうとすると、とても長期間に渡る勉学を必要とする。よくこの分野に
興味を持っている人たちの話を聞いたりすると、実践的学習をはじめてみたは良いが、長期間に渡り似た
ような学習を行うため途中であきてしまったり、成果が分からないため、やる気を無くしてしまったりする
事が多いと聞く。また、西欧の伝統でなく他の体系に魅せられて違う学習法に変更してしまったり
する事もある。西欧の秘教体系の実践学習法はスポーツなどと違い、その主な対象が意識という不可思議な
ものであるため、成果が目に見えてあらわれるという事はほとんど無いといって良い。自分でも解らない
ような、ゆっくりとした変化として成長していくことが多いのだ。これから、この学問を学び始める学徒は
その点は、よく覚えておいて気長に学習を続けていくことをお奨めする。
最後に、このページで学んでもらう大事な点を述べておく。本来、こういった西欧の神秘伝統とは、
とても範囲の広いものだが、このHPでは、それらに含まれる知識の中でも特に人間つまり我々
みずからが、その学問に秘められた叡智を実践し、この身に体現していくための学問を目指している。
また、西欧の神秘伝統というと、本来、西洋系の知恵が主体だが、このHPでは、役に立つ
ならばその内に東洋の知恵も導入しているので了承してほしい。そして、その目的は人間や自然の
根本にある「意識」というものの謎を解き明かし、人間が、その本当の自分自身の姿を知る「自己探求」
を行なうこと。そして、この世界で我々が成すべき、自己が真に欲する事「真の意志」を求めていく事
にあるのだ。
ただ、こういった哲学的な事を目指しているからといって、このHPを書いている私自身は、あまり
真面目ぶった考え方は好きではない事をここに明記しておこう。こういった哲学的、思想的にもなりうる
分野を研究していると、得てして人は、こういったものにたいして、あまりにも真剣になりやすい。
しかし、真面目にするところは真面目にする事はもちろん大切だが、幾ら哲学的な堅苦しそうなものを
学習していても、学徒の方には、楽しめるところはしっかりと楽しんで、心に余裕とゆとりを持って、
こういった方面の実践や勉学を続けていってもらいたいと思う。
こういった事こそが、人間の「意識」というものを扱っていくこの分野では、一番安全な方法になる
のであり、そして、西欧神秘伝統で真に目指し歩むべき「中庸の道」なのだ。
(上図 レンブラントのエッチングより)
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