W・W・ウェストコット
William Wynn Westcott(以下、ウェストコット)は、1848年12月27日、ウォリックシャーのレミントンに生まれた。彼の父は外科医だったが、ウェストコットが10歳になる前に、両親とも死亡してしまい、同じく医者だった叔父に引き取られている。
ウェストコットの性格は、温厚であり友好的である。黄金の夜明け団(GD団)の団員達からの信頼も厚く、よく団員などの様々な悩みや相談にのっている。この点、メイザースとは、対照的である。しかし、陰では分裂症的な気質も有しており、オカルト等の趣味は彼のきつい仕事の息抜きにもなった。
1860年、クィーン・エリザベス・グラマースクールに入学。長じるに及んで、医学を志す。
1871年、ロンドン大学にて医師の資格を得、叔父の手伝いをしながら、フリーメーソンに入会。オカルトの研究に没頭する。1880年、英国薔薇十字協会(SRIA)に入会、それからすぐ結婚する。
1881年、ロンドンの代理検死官になり、後にはロンドン北東部担当の正検死官になる。
1884年春、H・P・ブラヴァッキーに出会い、神智学協会に入会する。
同年夏、アンナ・キングスフォードのヘルメス協会の名誉会員に迎えられる。ウェストコットの「公式歴史講義」の一説にもあるように、彼もメイザース同様、アンナから多大な影響を受けており、彼が作り出したといわれる秘密の首領アンナ・シュプレンゲルにもアンナ・キングスフォードの影響がかなり見られる。
1885年、メイザースが家に転がり込む。
1887年、ウッドフォード牧師から暗号文書を譲られ、それがドイツの西欧の伝統的秘密結社の入門儀礼のメモであることを解読する。ウェストコットはこの暗号文書をもとに、秘教的結社を自分で設立する事を思い付く。そして、架空の「秘密の首領」アンナ・シュプレンゲルを自分の結社の権威付けのために作り出し、大量の書簡捏造に取り組む。同時にメイザースに頼んで、結社用の儀式文書も作ってもらう。
1888年、メイザースに、SRIAの至高術士だったW・R・ウッドマンも巻き込んで、この3人で、秘教的結社「黄金の夜明け」団(GD団)を設立。同年3月最初の参入員を迎えている。その後、神智学協会誌や、SRIAでの広報活動によって、徐々にGD団は人数を増やしていく。
1891年、ウッドマンの死後、SRIAの会長となる。
1897年、GD団の文書を誰かが置き忘れ、それが警察に届けられたために、ウェストコットのGD団との関係が明るみにでる。警察上部は、彼の趣味を警察関係者には好ましくないものとし、ウェストコットは彼の職を続ける為に、GD団を退団。ウェストコットは、文書を置き忘れたのはメイザースの密告行為ではないかと疑うが、真相は不明。
1900年9月、A∴O∴のプレモンストレーターに就任。
1918年、検死官の職を辞める。
1919年、南アフリカのダーバンに移住。現地の神智学協会や、フリーメーソンの幹事となる。
1925年6月30日、死去。
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