黄金の夜明け・歴史1
ここでは、イギリスはロンドンに生まれた、西欧神秘伝統史上最も名高いといわれる「GOLDEN DAWN」(黄金の夜明け団)といわれる結社についての歴史を簡単に記していく。黄金の夜明け団の、その歴史は分裂と新たな派の生成の繰り返しであり、どこまでを「黄金の夜明け」団とするかは、諸説あるが、ここでは基本的にホロス事件までを、その対象として紹介していく。
・黄金の夜明け。
始まりは、奇妙な「暗号文書」が発見された事であった。A・F・A・ウッドフォードという牧師によって見つけられた、60枚余りのこの暗号文書は解読のため、彼の知り合いであるW・W・ウエストコットに送られる事となる。W・W・ウェストコット、英国薔薇十字協会(SRIA)の一員にして、ロンドンの検死官である彼は、1887年、その暗号文書をたやすく解読し、これがドイツの秘密結社の入門儀礼等を記した物である事を知る。
彼は、その結社にコンタクトを取り、結社の首領の一員であるアンナ・シュプレンゲル(魔法名SDA)と、連絡を取り合う事に成功(*)。彼女から、大量の秘密教義の伝授と、ロンドンに西欧の秘教結社を設立する認可を受けたウエストコットは、自宅の居候S・L・M・メイザースに、単純なものに過ぎなかった暗号文書からしっかりとした儀式を作らせ、SRIAの至高術士であったW・R・ウッドマンも引き込んで、この3人で結社を作る事にする。1888年、ここに世に名高い秘教結社「黄金の夜明け」団(以後、GD団と略す)が生まれる事となる。
GD団は、設立当初はロンドンにあるイシス・ウラニア・テンプルでの3名のみの活動だったが、ウェストコットのSRIAや神智学協会の「ルシファー」誌での広報活動、メイザースの大英博物館の図書館での個人的勧誘によって、徐々にその人数を増やしていく事となる。この頃、入団した者としては、1888年3月、最初の参入者のミナ・ベルグソン(後にメイザースの妻となる)から、フローレンス・ファー、アニー・ホーニマン、W・B・イェイツ、A・E・ウェイト、J・W・ブロッディ=イネスなどがいる。初期の頃のGD団は、西欧の秘教の研究結社というよりは、オカルトの愛好会という雰囲気が強く、セシル・ジョーンズが語る「他の色々なクラブと同様に暇つぶしの場所であり、友人と会う場所」に代表される和気あいあいな活動といった状態であった。
1890年にもなると、GD団は勧誘したメンバーがまたメンバーを呼び、芋蔓式にメンバー数も100名を越え、順調に成長を遂げる。しかし、この年、8月23日にアンナ・シュプレンゲルの死亡の知らせが届く。この事によって、GD団はドイツの首領との関係を絶たれ、独立の道を歩み出す。
(*)注)現在、一般的には「アンナ・シュプレンゲル」という人物は、ウェストコットがGD団の権威づけのために作り出した、架空の人物であり、よって、彼女からの大量の手紙(SDA書簡)も、ウェストコットの捏造品とされている。
・メイザースの「秘密の首領」との接触、GD団の順調な活動。
この頃、ミナ・ベルグソンとメイザースは結婚。その後、ミナの親友であるアニー・ホーニマンの誘いにより、このメイザース夫妻はミナの家族の住むパリへと旅行する。しかし、このパリ旅行の最中、ミナの霊媒的な素質が現れ、メイザースは「秘密の首領」(*)からの霊界通信を受け取る事となる。
この体験に意を強くしたメイザースは、ロンドンへ戻ると、GD団のメンバーに自分自身が秘密の首領の代理人に任ぜられたと宣言。今までは名ばかりで、あまり機能してなかったGD団のセカンド・オーダー(ルビーの薔薇と金の十字架団)を本格的な秘教結社へと大改造しはじめる。ドイツの首領との連絡が絶たれて不安になっていたGDメンバーはこれを歓迎。ここに、GD団のセカンド・オーダーは本格的な秘教伝統の研究結社と化す。
1892年、セカンド・オーダーの改造を終えた、メイザース夫妻は今度はパリに移住。以後、メイザースは死ぬまでパリに暮らす事となったが、パリでのメイザースは以前よりの奇人ぶりをより増して発揮。無職だったメイザースは、アニー・ホーニマンから、金銭的援助を受ける生活をしながら、自らをケルト・スコットランドの血統と考え、タータンやキルトを着用したり、この頃流行していた自転車に乗ったりして、ロンドンのGD団メンバーに呆れられる。しかし、GD団自体はこの後しばらくは順調な活動を行う。
(*)注)このメイザースの出会ったとされる「秘密の首領」は、その魔法名をルックス・エ・テネブリスといい、人間としてはベルギーに住んでいたとされるが、現在でもそれが誰なのかは、はっきりしていない。
・トラブルの始まり
そんなGD団の活動にトラブルが頻繁に起こり出すのは、1894年後半、エドワード・ベリッジに関するトラブルからである。彼はGD団の有力メンバーの一人であったが、もともと、GD団の間では評判が良くなく、おまけに性愛思想を団の教義と結び付ける活動を始めたために、潔癖家アニー・ホーニマンが激怒。メイザースに抗議と彼の退団を迫る手紙を送る。しかし、メイザースは自分の忠実な信奉者であったベリッジを処分する事はせず、逆にアニー・ホーニマンに怒りの手紙を送る。
この怒りの手紙にホーニマンは謝罪文を送り、一度は事が治まるかに見える。しかし、ベリッジは一向に処分されない、おまけにメイザースは奇行を続けるという事で、不快のつのったホーニマンは、今度は援助をしている金銭的な面からメイザースに文句を言う。しかし、この行為は、メイザースの疑心暗鬼を生む事となり、逆にメイザースは脅迫とも取れる「宣言書」を団の主要メンバーであるセオリカス(Th)・アデプタス・マイナー達に回し、自分への絶対服従を強いる。
この宣言書に、Th・アデプタス・マイナー達は簡単に服従する事になってしまうが、メイザースはそれでも疑心暗鬼をやめず、ホーニマンに彼女やウェストコットへの文句の手紙を送る事となる。当然、呆れたホーニマンは、メイザースへの金銭援助を取りやめてしまう。しかし、この事によってついにメイザースは激怒し、1896年ホーニマンを強制退団へと追い込んでしまう。
・ウェストコットの退団、クロウリーの入団。
さらに1897年、GD団にとって不幸な事に、ある事件によってウェストコットのGD団との関係が、警察に知られる事になってしまい、警察上部は彼のGD団との関係を警察関係者には不適当であると判断、ウェストコットは彼の職業を続けていくため、GD団から退団する事となってしまう。ウェストコットはそれまで、団のこまごまとした事務活動に有能な手腕を発揮していたのだが、彼の退団によって、その事務活動はフローレンス・ファーに一任される事となる。しかし、彼女はこうした事務的な作業は苦手で、以後、GD団の組織は弱体化の一途を辿る事となる。
そんな時、ある一大人物がGD団に加入する事になる。彼の名はアレイスター・クロウリー。1898年に彼はGD団員であったジョージ・セシル・ジョーンズを介して、GD団に入団。後に目ざましい早さで、位階を駆け登る。彼はまた、GD団で恐るべき実力を有しながらも、生来病弱であり生活が不安定だったアラン・ベネットに、生活の保証の代わりに自分の師匠を引き受けてくれる事を申込む。ベネットはそれを受入れる事にし、クロウリーと一緒に住みながら、彼に数々の秘教的知識を与えている。
ベネットはメイザースの信奉者であったため、クロウリーも一緒にメイザース信奉者になるが、この事がGD団内部に多かった反メイザース派の反感を買う。また、クロウリーとベネットが一緒に住んでいた事から、彼らは同性愛であるという噂がGD団内部で流れる事となる。
そのため、クロウリーが1899年末に4=7に進み、セカンド・オーダー昇進を希望すると、これらの噂を根拠にし、セカンド・オーダー昇進を拒否されてしまう。クロウリーは、自分の置かれた状況を見て取ると、パリのメイザースへ頼る事にする。メイザースはその申し込みにこれ幸いと、反抗的なロンドン・メンバーへの皮肉も込めて、クロウリーを自分で5=6に昇進させてしまう。
・ホロス夫妻との出会い
さて、この頃、パリに住んでいたメイザースはどうしていたかというと、今まで頼りにしていたホーニマンに見捨てられたため、金のあてが無くなってしまい、様々な形で金策を作る事に必死になっていた。
トルコ鉄道株の販売や、魔術書の出版がそれに含まれるが、この頃、有名な「アブラメリン」も出版される事となる。また、パリのボディニエール劇場にて、「イシス儀礼」と呼ばれる儀式の一般公開を行い、好評を博す。しかしこの頃、ホロス夫妻と出会う事となり、これが彼の後の決定的な破滅の原因となる。
ホロス夫妻は詐欺師であり、アメリカ人からGD団の秘密を知り、特にホロス夫人は自らをアンナ・シュプレンゲルと名乗り、メイザースを騙そうと近寄ってきたのであるが、メイザースは見事にそれに引っかかってしまい、彼女に様々な貴重な文書を分け与えてしまったのであった。そして、メイザースは彼女がウェストコットと手紙のやり取りが無かった事を聞き、ウェストコットが秘密の首領であるアンナ・シュプレンゲルとコンタクトを取っていたという話は嘘だったと思い込む。
ちょうどその頃ロンドンでは、フローレンス・ファーが、メイザースへの不満から、イシス・ウラニア・テンプルを閉じてしまうぞ、という旨の手紙をメイザースにあてて出している。メイザースはその手紙に対して怒り、断固拒否、そして一緒にその手紙の中に、ウェストコットはドイツの「首領」とは、コンタクトしていなかったという事を、偽者であるホロス夫妻から得た偽情報をもとにして、脅迫の材料としてフローレンス・ファーに伝えてしまう。
・SDA調査委員会の設立、ブライス・ロードの戦い
フローレンス・ファーは、このウェストコットのアンナとの通信(SDA書簡)が嘘であるという、メイザースの返信に当惑。ウェストコットに連絡して、この件について聞きただすと同時に、セカンド・オーダーのメンバーにこの事を打ち明けた。セカンド・オーダーのメンバーも、この事の重大さにすぐさま、調査委員会を設立。真相の究明にのりだし、メイザース、ウェストコット双方に話を聞く事にする。
この委員会から、SDA書簡に関する真偽の証拠提出を求められたメイザースはしかし、その時点でホロス夫妻に逃げられ、彼らが詐欺師であった事に気づいてしまっており、自分が偽情報を元にしてフローレンス・ファーに出した手紙にもとづいて作られた、この委員会からの要求に答えられず、半ばやけっぱちになって、要求をつっぱねている。
さて、SDA書簡について尋ねられた、ウェストコットはどうしたかというと、自分はこのSDA書簡について、確たる証拠は挙げられないが、しかし、メイザースの説を受け入れたならば、私は亡きウッドマンの名誉を傷付けてしまうでしょう、という亡きウッドマンを盾に使った微妙な回答を委員会によこしている。
これらの返事から、委員会はファーへの手紙はメイザースのでっちあげだったという説に傾き、メイザースにロンドンへ来て、釈明する事を命じる。もちろん、メイザースはこの命令を無視。フローレンス・ファーをイシス・ウラニアの首領から外すが、その行動に、ロンドンのイシス・ウラニアの主要メンバーは反抗、1900年、メイザースから離反する事になる。
このロンドンの主要メンバーの行動に、メイザースは激怒。ちょうどその頃、メイザースの狂信的信者だったクロウリーは、メイザースの命を受け1900年4月13日、ロンドンへと単身乗り込む事になる。クロウリーはブライス・ロードにあったGD団のセカンドオーダー専用室を占拠して、ここに有名な「ブライス・ロードの戦い」が始まる。
・メイザースの追放
この戦いは結局、セカンドオーダー室の正当な家主の権限により、クロウリーが追い払われ、一応の決着を見る事となる。しかし、ロンドンの主要メンバーも、このメイザースの命によるクロウリーの暴挙に激怒。正式にメイザースとクロウリーをGD団から追放して、新たな組織を作り出す事になる。また、この時にはアニー・ホーニマンも新しい組織の団メンバーへと返り咲いている。
クロウリーはこの後もフローレンス・ファーに対して、告訴などしてちょっかいを出したりしているが、結局勝てずにあきらめてしまい、アメリカへ旅立ってしまう。メイザースはなおもパリにて怒り狂っており、ロンドン・メンバーが新しい組織を作り出すときに、前から評判が悪かったため、ついでに追い出されてしまったエドワード・ベリッジと共に、パリにて新しいイシス・ウラニア・テンプル(A∴O∴の母胎となる)を作る事にする。
・新組織の発足、イェイツの首領就任と辞任
1900年4月19日、ロンドンにて新組織を作り出したGD団メンバー達は、W・B・イェイツを指導者に選び、活動を再開する事となる。しかし、すぐにトラブルに直面。団の書記という役職に就任したアニー・ホーニマンと、フローレンス・ファーが大喧嘩を起こしてしまうのである。この喧嘩の原因は、事務的作業の苦手なファーが、今までの記録を怠けていた事をホーニマンが見つけ、おまけに団のセカンド・オーダー内に、フローレンス・ファーを中心とした、もう一つの秘密グループ「スフィア」が出来ていた事まで、発見されたためであった。
この新しい秘密グループ「スフィア」を目の敵にしたホーニマンは、イェイツに対してグループ粛正を要求する。ホーニマンから財政面で援助を受けていたイェイツは、仕方無しにホーニマンに協力。ファーに対して、秘密グループである「スフィア」を公開してほしいと申し出る。ファーは、この要求にしぶしぶ応じるが、しかし、ファーは団の総会に「スフィア」を持ち出して、投票によってメンバーの意見を聞き、団の公認組織にすると言い出す。
ホーニマンとしては、気に入らない「スフィア」が、団の公認組織になるなどもっての他であるから、様々な圧力をかけるが、元々彼女は団での評判が良くなく、総会での投票は、「スフィア」が認められるのが、眼にみえる事になった。
しかし、この投票の票数を数えるのがホーニマンの役目だったため、この点を考慮に入れた団のメンバー、M・W・ブラックデン、パーマー・トーマスの2名によって、ホーニマンの他に2名の投票検査人を補佐に立てる事が申し出られる。
しかし、この事にホーニマン及びイェイツは人格を怪しまれたと激怒。イェイツはすぐさま、ブラックデン、トーマスの両名に謝罪を要求。ブラックデンは謝罪したが、トーマスはこれに応ぜず、イェイツの復讐によって彼の役職は一時的に取り上げられている。
この後、イェイツは怪文書を流したりして、支持者を得ようとするが、そのもくろみも失敗。ホーニマンも書記の辞任を発表、この事によって同情票を得ようとするがこれも見事に失敗。結局、総会での投票にてイェイツとホーニマンはあっさり敗れ、「スフィア」は公認された。同時にイェイツも首領を辞任。イェイツの首領であった期間は10ヶ月程度であった。
この1901年2月26日におきた騒動のあと、7ヶ月程はGD団も平穏な日々を過ごしていた。しかし、これは嵐の前の静けさでもあった。GD団史上、最大の不名誉な「ホロス事件」が、この年の9月26日に起こるのである。
・ホロス事件、「GD団」の終焉
実は1900年初め頃、メイザースから、まんまと秘密文書を騙し取っていた、ホロス夫妻はその嘘がばれる前にメイザースのもとからトンズラしていたのであった。そのため、メイザースはSDA調査委員会に、自分の情報が嘘だったのがばれるのを恐れて、顔も出せなかったのであったが、ホロス夫妻は、そんなことなぞ知りもせず、メイザースから騙し取った秘密文書を使って、南アフリカでインチキ霊媒商売を行っていた。
そして、南アフリカで逮捕されかけたホロス夫妻は再び、ロンドンに戻ってきたのだが、またもや、ロンドンでもインチキ霊媒商売を行い、そしてついに9月26日に少女暴行・金銭詐欺等の罪で警察に捕まってしまう。しかも、ホロス夫妻は警察の取り調べに対して、自分達をGD団の首領であると名乗ったため、GD団の名は一躍、悪しき噂で有名になってしまう。
このスキャンダルに、本物のGD団も騒然となる。もともと、GD団はモラルを重んじる紳士・淑女の集まりであったため、この悪しき噂を嫌って多数の団員が退団している。この事で多数の有力メンバーを失ったGD団は、しかし必死に体制を立て直そうとし、ホロス事件の噂が消えた1902年5月3日、R・W・フェルキン、ブロディ=インズ、パーシー・ブロックの3人を首領とした「三首領」制を導入。
この三首領制の導入とともに、GD団の名前も以前、メイザースを追放したときから案の上がっていた「The Order of Stella Matutina」(暁の星)と、名前を変える事に決定。ここに、元祖的「黄金の夜明け」団は幕を閉じる事となる。
<歴史の流れ>
1887年、ウッドフォードによって見つけられた「暗号文書」をウェストコットが解読。ウェストコットはそれをネタに秘密結社を始める事を思い付く。
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1888年、架空の秘密の首領、アンナ・シュプレンゲル(SDA)の権威によって、ウェストコット、メイザース、ウッドマンの3人、結社GD団のイシス・ウラニア・テンプルを開幕。
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1890年、アンナ・シュプレンゲル(SDA)死亡。彼女との繋がりを絶たれたGD団は独立の道を歩み出す。
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1891年、メイザース、独自に「秘密の首領」と接触。セカンド・オーダーを大改造して、GD団を本格的な秘教結社にする。
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1892年、メイザース、パリへ移住。
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1895年、メイザースとホーニマンの仲、険悪となる。
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1896年、ホーニマン、強制退団させられる。
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1897年、ウェストコット退団。彼が務めていた「英国の首領達人」の地位は、フローレンス・ファーに引き継がれる。
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1898年、クロウリー入団。
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1900年、メイザースの手紙によりSDA調査委員会設立。
・
同年、フローレンス・ファー、メイザースによって「英国の首領達人」を外される。
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同年、フローレンス・ファー、W・B・イェイツ、ハンター夫妻、ブラックデン、ブロック、G・C・ジョーンズの主要メンバー七名、メイザースから離反。
・
同年、クロウリー、メイザースの命を受け、ブライスロードのセカンド・オーダー室を占拠。
・
同年、メイザース、クロウリー、GD団から正式追放。
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同年、メイザース、ベリッジと共に、A∴O∴設立。
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同年、W・B・イェイツ、新組織の首領となる。ホーニマン、GD団に復帰。
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同年、ホーニマンとフローレンス・ファー、大喧嘩。
・
1901年、ホーニマン、書記辞任の意向発表。
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同年、年次総会においてイェイツとホーニマン、ファーらに大敗。
・
同年、イェイツ、首領辞任。
・
同年、ホロス事件発生。このスキャンダルにより、大量に退団者発生
・
1902年、GD団、全面改革。同時に団の名称を「暁の星」団に変え、ここに元祖GD団は幕を閉じる。
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